戦争の風化が叫ばれる昨今、松本市内に残る戦争の爪跡を後世に残し、語り継いでいくため、戦争遺跡周辺に記念碑の建立を行っています。
里山辺地区では昭和20年3月頃から林地区・大嵩崎(おおつき)地区の農地を中心に地下工場、半地下工場の建設が進められ、終戦を迎える8月15日までには完成した半地下工場もありました。
地下工場の入り口のうち一か所は現在でもトンネル内部を確認することができます。
弘法山を過ぎたあたりから、現在の中山霊園に向かう道沿いを中心に斜面を利用して建設が行われました。里山辺地区と同じく、昭和20年の始め頃から建設が進められ、終戦までには完成した格納庫もあったようです。
現在でも山側の斜面には、半地下工場の基礎と思われるコンクリート壁を見ることができます。
現在の信州大学松本キャンパスの敷地は、旧陸軍歩兵第五十連隊の駐屯地が置かれた場所です。
現在でも当時食料保管を行った倉庫が一つだけ残っており、信州大学医学部の倉庫として使われています。
その文化的価値が認められ、平成24年8月に国の登録有形文化財に登録されています。
今の信州まつもと空港の近くに旧陸軍の飛行場が建設されました。区域は神林・笹賀・今井の3地区にまたがり、今の菅野小学校の西側には滑走路がありました。
当時の格納庫なでのコンクリート基礎の一部は、菅野小学校グランドの基礎も兼ねており、今でも確認することができます。