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歩兵第五十聯隊 2020.03.11

旧陸軍歩兵第五十聯隊

聯隊(れんたい)は、軍隊組織上の一単位で、旅団の次位にくる編成単位です。独立して戦闘をおこなうために、兵士たちは戦地での戦闘に備えて厳しい教育と訓練をおこないました。
歩兵第五十聯隊は、日露戦争中の明治38年(1905)に編成されました。
五十聯隊の駐屯地を陸軍省が探していることを知った松本町は、聯隊誘致のため、松本町長小里頼永らが急遽上京し、松本町出身で当時の陸軍参謀次長福島安正や陸軍大臣らに陳情をおこない、そのかいあって松本に聯隊駐屯地が決まりました。
五十聯隊が駐屯地と決まった松本兵営地に入ったのは、松本が市制施行した翌年の明治41年11月2日のことです。小里市長は、各地区に通知を出して市民こぞっての歓迎を求めました。
聯隊の位置は、松本の市街地と浅間温泉との間で、兵営、練兵場、射撃場が隣接していました。
大正14年(1925)4月からは、長野県全域が松本聯隊区の管轄に統括され、全県が徴兵区となり、名実ともに連帯は郷土部隊となり、松本は「軍都」として発展していきました。

 

聯隊の最後

五十聯隊は、戦況に応じて各地へ動員され、そのつど出征、凱旋する松本駅に、大勢の市民が送迎しました。また、日本アルプスでの山岳訓練も重ね、全国に名だたる精鋭の山岳部隊となりました。
そんな聯隊は、昭和16年(1941)12月の太平洋戦争開戦後には、中部太平洋マリアナ諸島防衛のために動員され、昭和19年8月2日、テニアン島で軍旗を焼き、聯隊最後の突撃を敢行し「玉砕」しました。

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