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戦時中のできごと 2023.02.28

松本に滞在した特攻隊

特攻隊とは「特別攻撃隊」の略語で、爆弾を積んだ戦闘機等で、敵艦船に体当たり攻撃を行う部隊のことで、これは搭乗員の戦死を前提としていました。

 

昭和20年になって沖縄周辺に侵攻した連合国の艦隊に対し、日本は特攻隊を編成しました。特攻による戦死者は、特攻訓練中の事故死や、移動中の交戦死など作戦に従事した人間を含めると約6,000人とされています(資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていない)。

 

松本に滞在した特攻隊のうち、武揚隊(ぶようたい)と武剋隊(ぶこくたい)は、ともに昭和20年2月10日に満洲国の首都新京で編成された後、新田原(宮崎県)や各務原(岐阜県)など各所の飛行場を経由し、松本に入りました。

昭和20年2月20日に武剋隊が、また、ほぼ同時期に武揚隊が松本に到着し、いずれの隊も一か月程度、浅間温泉に滞在したようです。武剋隊は千代の湯と目の湯、武揚隊は富貴の湯での滞在が確認されています。この間に、東京から疎開していた代沢国民学校や東大原国民学校との交流がありました。

 

この2隊は機体の整備の間、陸軍松本飛行場で特攻訓練を行い、整備終了後、知覧(鹿児島県)や新田原を経由し沖縄等に向かって飛び立ちました。その後、連合国軍が迫る沖縄で展開された大規模な特攻作戦に参加し、沖縄・慶良間(けらま)沖合で武揚隊7名、武剋隊15名の特攻死が確認されています。

 

写真は、昭和23年に米軍が撮影した旧陸軍飛行場付近の航空写真(所蔵:松本市文書館)

 

 

 

参照:『特別展 戦争と平和展 特攻兵が飛び立つとき-松本から知覧へ-(平成25年出版)』(松本市立博物館)

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