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平和資料コーナー News 2024.08.16

文書館平和資料コーナー夏季企画展「松本地域と満蒙開拓」

松本市文書館平和資料コーナーでは、所蔵資料等から戦争の歴史について学ぶ企画展示を開催しています。

今年度の展示テーマは「松本地域と満蒙開拓」です。

 

昭和7年(1932)の満州国建国をきっかけに、現在の中国東北部への農業開拓が進められました。⻑野県内では大日方村(現佐久穂町)が全国に先駆けた分村(ぶんそん)をおこない、役場や学校、産業組合などの組織連携のもとで村の半分が満州へ入植するという分村のモデルケースとして小説、さらには舞台公演や映画の形で喧伝され、後の大量移⺠送出へ大きな影響を与えました。

 

松本地域では松本市の「分市(ぶんし) 」として「第十二次康平松本郷(こうへいまつもとごう)開拓団」、東筑摩・南安曇・諏訪出身者で構成される「第一次康平⻑野(こうへいながの)開拓団」などの開拓団が満州へ入植していきました。

近隣では東筑摩郡の筑南地区の人々を中心とした「第十一次瑪瑯河東筑摩郷(まらほひがしちくまごう)開拓団」があります。東筑摩郷開拓団は戦後の混乱のなかで在団者287 人のうち163 人が命を落とすなど大きな犠牲者を出しました。

 

十代の⻘少年たちに対しては茨城県⽔⼾市内原にあった内原訓練所で一定の農業・軍事訓練等の教育をおこない、現地での訓練生活の後、開拓団員として入植地へ入植させる「満蒙開拓⻘少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん)」への勧誘が教育現場を主体に積極的におこなわれ、⻘少年等が志願していきました。

松本市入山辺出身の教師、久保田越三(くぼたえつぞう)が引率した義勇軍「久保田中隊」は満州で3年にわたり鉄驪(てつれい)訓練所での訓練生活を経て、昭和20 年に「第五次信州綜合義勇隊開拓団」に移行し入植しますが、8月9日のソ連軍による宣戦布告後、開拓地から避難し、およそ2週間にわたる逃避行の末、終戦を知りソ連軍に武装解除されました。

ソ連軍による労役やその後現地自活による越冬の過程で、犠牲者が出たほか、軍務に従事していた中隊の⻘少年たちは大半がシベリア抑留(よくりゅう)されました。

開拓団員や⻘少年義勇軍として満州に渡っていた人々は治安の著しく悪化した現地で、略奪や暴力等にさらされながら翌年に引揚げ事業が本格化されるまで、多くの犠牲者を出しながら厳しい生活をおくりました。

開拓団によってはほとんど死者を出さずに日本へ引揚げできた団もありますが、他の地域同様に松本地域の人々の中には故郷へ帰ってこれなかった人々もいます。

 

当館所蔵の文書中には、当時の役場文書等に開拓団や義勇軍に関わるものが所蔵されています。松本地域における満蒙開拓の一断面を、遺された文書等からご覧いただくと共に、地元の歴史と満蒙開拓の歴史についてかえりみるきっかけとしていただければと思います。

 

日程:令和6年8月30日(金)まで (月曜休館)

時間:午前9時~午後5時

場所:松本市文書館(松本市鎌田2-8-25)

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