写真は、昭和20年に、開智小学校の職員が書いた学校日誌です。
その日の指導内容や、学校での出来事が書かれています。
また、広島へ原子爆弾が投下された翌日の8月7日には、
「非人道ナル米機、去ル六日朝ニ、原子爆弾ヲ使用シ、市民、家屋ニ対シ暴逆極マル爆撃ヲ為ス」と。
日本の敗戦を伝える玉音放送があった8月15日には、
「全職員参集、職員室ニラヂオ器械ヲ据エ『御放送』ヲ拝聴ス。全職員、唯、事ノ余リノ意外ナルト、悲痛至極ナル終結ニ慟哭ス。」
などと、当時の状況が鮮明に記録されています。
慟哭(どうこく)・・・悲しみのあまり声をあげて泣くこと
(所蔵:国宝旧開智学校校舎)