
福元 猛寛
(ふくもと たけひろ)
東京府立第二中学校から松本高等学校(22回理乙。昭和17年9月卒)、東京帝国大学農学部へ。昭和20年5月、沖縄で特攻死。
松本高等学校に在学中、スミレの研究者であった福元は、時間さえあれば美ヶ原でスミレを採集していた。また、氷滑部(アイスホッケー部)の主将を務める熱情の持ち主でもあった。
東京帝国大学農学部に在学中、戦況の悪化を焦慮し海軍航空隊を志願、沖縄の海で敵空母に突入して散った。松本高等学校出身で唯一の特攻死。
福元 猛寛の日記より(最終ページ)
『(中略)これを思う時今の私は生死の境に於いて血みどろの日本の苦しみを目のあたり体験することこそ日本の大義を体得する唯一無二の而も最も近い道であると考える。
併しながら現在の私としては、今茲で志願するには聊か個人的の未練はある。即ち徴兵猶予期間満了まで学業につき、大学を卒業してからでも志願は可能である。けれどもこれは単なる個人的の欲望でしかない。実際大学がなければ国家永遠の発展は望むべくもなく、直ちに此の数年間の国力にも甚大な影響を及ぼすであろう。が、更に翻って思いを致せば假令我々の現在行っている研究が直ちに国力増進に役立つとしても、日露戦争時代ならばいざ知らず、国を挙げての国民総力戦と云われる今日の緊迫せる近代戦下に於いては、研究家・学者と雖も矢張り国民の一員であり、国家の一分子としての活動を要求されている以上、研究家学者とてもその研究・学問が自己の生活の全部ではない。それ等のものを俺うべき真の日本人としての生活がなければならぬ。従って各研究家・学者が専攻する研究・学問を完成する前提として真の日本人としての生活を完成すべきではなかろうか。』
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飛行機の前に立つ福元 猛寛(「松本高等学校同窓会会誌113号」より)
(資料収蔵:旧制高等学校記念館)
※本掲載記事の内容は、旧制高等学校記念館の3階展示コーナー「戦時下の旧制高等学校」でも紹介しております。
