写真は、昭和18年頃、開智小学校に通っていた児童たちが描いた絵です。 勇ましく出征する兵士の絵や、国のための労働や節約を促す絵が多く見られます。 (所蔵:国宝旧開智学校校舎)
児童たちが描いた絵(昭和18年頃)

写真は、昭和18年頃、開智小学校に通っていた児童たちが描いた絵です。 勇ましく出征する兵士の絵や、国のための労働や節約を促す絵が多く見られます。 (所蔵:国宝旧開智学校校舎)
特攻隊とは「特別攻撃隊」の略語で、爆弾を積んだ戦闘機等で、敵艦船に体当たり攻撃を行う部隊のことで、これは搭乗員の戦死を前提としていました。 昭和20年になって沖縄周辺に侵攻した連合国の艦隊に対し、日本は特攻 […]
昭和6年9月に起きた「満州事変」以後の昭和7年3月、日本は中国東北部に「満州国」を建国しました。そして、ここに移民することが、国策として進められました。 「五族協和・王道楽土(ごぞくきょうわ・おうどうらくど)」を目標とし […]
写真は、戦前・戦中期、小学校で教えられていた「修身」という科目の教案です。 「修身」とは、日常生活における規律や国民的行事などを教えた、当時の道徳教育のことで、戦後、GHQにより軍国主義的な教育とみなされ廃止されました。 […]
写真は、昭和14年、神林小学校に通っていた児童たちが書いた慰問作文集です。 慰問作文とは、戦地の兵士をねぎらうために書かれた作文のことで、中には、出征した兄に向けて書いた作文も見られます。 (所蔵:国宝旧開 […]
昭和19年6月30日、「学童疎開促進要綱(がくどうそかいそくしんようこう)」が閣議決定されました。東京や大阪などの大都市への空襲が激しくなり、子どもたちを都市から農山村へ分散させることにしたものです。 学童疎開は、日本全 […]
昭和20年8月18日に、松筑地方事務所から各町村長宛てに次のような文書が出されました(写真:松本市文書館所蔵「今井村役場文書」) 機密重要書類焼却ノ件 各種機密書類、物動関係書類、其ノ他国力判定ノ基トナル如キ数字アル文書 […]
写真は松本に歩兵第五十連隊が駐屯を開始した明治41年に作成された連隊兵営の俯瞰図(ふかんず・・高いところから見おろしたように描く図面)です。 五十連隊入営当時の兵営内の全貌を知ることのできる資料です。 (所 […]
写真は、戦時中、波田小学校に疎開していた陸地測量部が使用していた時計です。 陸地測量部とは、旧陸軍参謀本部に所属し、国内外の地図の作成等を行った機関(現在の国土地理院の前身)です。 終戦後、この時計は波田小学校に寄贈され […]
写真は、年に一度、天皇から歩兵第五十連隊に連隊旗が下賜(かし)されたことを祝う「軍旗祭(ぐんきさい)」のときに撮影されたものです。 この「軍旗祭」では、兵営が一般の人にも開放され、連隊の兵営たちが模擬店や、思い思いの出し […]
松本市が加盟する平和首長会議では、日本国内の加盟都市等の青少年が被爆・戦争体験等と平和への願いを受け継いで行う平和活動に焦点を当てて、「平和教育ウェビナー『青少年による平和活動報告会』」を開催し、その模様を […]
戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを若い世代へ継承する取組みとして、令和4年8月5日~6日に、松本市内中学校(国公立・私立・組合立)の2年生代表(19名)と引率者(事務局)の計22名で、原子爆弾が投下された被爆地広島を訪れまし […]